1人ミーティング(日々自問自答)

流した涙は未来の自分を輝かせるアクセサリーになるよ!なんてな。

「3人のお母さん」を諦める

「もうふたりでよくない?だめ?」

困ったように夫が言う。怒るでもなく、 私を否定しているわけでもなく。

いつからこうなってしまったんだろうと胸が痛い。

叶えたい夢はいつも二人共通のものだったのに。

いつも協力し合って助け合って、 ただただ楽しかった数年前までを思い出したら、 体が固まってうまく言葉がでなかった。

だめなわけじゃない。子供が二人いて、 足りないなんて思ってるわけじゃない。

ただ私はずっと、3人の子供のお母さんになりたかった。 ただそれだけ。

ずっと願っていた夢の、諦め方が分からなかった。

 

 

私は三人目不妊だった。

一人目、二人目と、 ありがたいことに子供を授かることができたけど、

夢だった三人目をなかなか授かることができない。

二人までが順調すぎた分、 自然妊娠が難しいかもしれないということを認識するのに時間がかかってしまった。 ぷくぷくとかわいい赤ちゃんだった第二子である息子はもう5歳になっていた。

 

 

娘が3歳のかわいい盛りで、息子が赤ちゃんだった5年前くらいに 、私も夫も、あと2~3年したらもう一人子供を授かって、3人の 子供のパパ、ママになるんだと信じて疑わなかった。4人で過ごす日常はとてもとても幸せだった。

 

 

 

漠然とした計画では、 3人目を授かるだろうなと思っていたその2〜3年の間。 家族4人で本当に幸せだった。 何回言っても足りないくらい本当に幸せだった。

 

 

 

だけど、なかなか3回目の妊娠はできなかった。

自分にできる限り、頑張っているつもりでいた。

一度夫に、「もう3人目はできないのかな。」 と弱音を吐いたことがある。夫はいつも通りの優しい口調で「 大丈夫。子供3人いたら楽しいと思うよ。」と言ってくれた。 当時、仕事が忙しくて家にいないことが多くなり始めていた夫も、 3人目に対して前向きでいてくれるんだと安心したのを覚えている 。私も絶対諦めたくはなかったから。

 

 

 

それから私が不妊治療が有名な婦人科に行くまではまだもう少し時間がかかった。それまでの2人が順調な妊娠だったこともあり、「 病院に行った方がいい」と心底思うのに時間を要してしまった。

そしてその間に夫の仕事は、 激務と呼ぶにふさわしいものになっていた。 朝は少し顔を見れるけど平日の夜の帰りはほぼ深夜。 休日も急に仕事が入り、深夜になることもある。 それでと私も子供も夫が、パパが大好きだった。 夫は心身ともに大変だったと思うし、 私はそんな夫の体が心配ではあったけど、 それでも家族4人で幸せだった。一緒の時間が激減しても、 心の距離は近かったように思う。この時はまだ。

 

 

 

娘が小学生になった頃、夫は前のように優しくなくなっていた。 私の主観でしかなく、 被害者意識のようなものもないとは言えないけど、 以前とは性格が大きく変わったように思えた。

まっすぐ私や子供を見て、 話をしてくれていた夫はもうそこにおらず、 家では常にスマホをいじりながら、 私や子供の話も右から左にぬけている。

適当な相槌でいつも心はここにない。

ちょっとした口論が増え、大きな喧嘩も初めて経験した。 夫がキレて家を出て行くことも何度かあった。

 

 

 

夫婦関係がそこまでの状態になって初めて、 私は婦人科に行く決意をした。

 


どうしてもっと早く来なかったんだろう。

 


後悔はどんどん大きくなる。

いつも隣で、目標に向かって歩いてくれていた夫が、 今はここにいない。

物理的な不在ではなく、私の心に、 絶対的な見方である夫の存在がいなくなってしまっている状況がただただ悲しくて仕方なかった。

私たち夫婦はどうしてこうなってしまったんだろう。3人目を望みながら、頭の中は夫のことでいっぱいだった。

 

 

 

不妊治療を進めていくには、夫婦の署名が必要になる。婦人科の先 生には人工授精、体外受精までは希望しないと伝えた。 私側の諸々の検査とタイミング療法のみ。 それでも署名は必要だった。婦人科に行くことを曖昧にしか話せて いなかった私は、夫の帰りを待って同意書にサインをしてもらおう と決めた。あなたに迷惑はかけませんよ〜 ということをプレゼンする予定だった。

今まで何でも話せていた夫に、 話の切り出し方を頭の中でこんなにも練習したのは、 後にも先にもこれだけじゃないかな。

きっと重くなりそうなこの話題と、 息子の幼稚園での面白いエピソードと、どっちから話そうかな。 先に楽しくさせてこっちか、 こっちからで重くなった空気を最後に和ませるか。

その頃相変わらず、心ここにあらずの夫と、 そんな夫の機嫌をとりたくて空回り、1人疲弊している私とでは、 これから始まる話合いは行く末は見えているようなものなのに。「 3人目がほしい」。その望みは、夫が遠くなるほど、 絶対的なものになっていた。

 

 

 

話合いはやっぱりうまくいかなかった。

話の順番を間違えた。息子のおもしろエピソードで先に笑わせてお くべきだった。

 

 

 

「2人でよくない?」

 

 

 

夫の口からそんな言葉が出るとは思わなかった。

いや、最近の夫を見れば、そんなこと言いそうじゃん。 どう見ても3人目がほしそうじゃないじゃん。 って分かるんだけど、、、。同じ夢を見てたじゃないか。 子供は3人がいいねって、何度も何度も架空の未来の話を、 笑いながら話したじゃないか。なんで?

分かっているはずの夫の気持ちを、言葉として聞くのはこたえた。 私は夫の変化を受け止めたくなかった。

 

 

 

 


2人じゃダメとかじゃない。

ダメとか思ってない。

恵まれてると思うし2人のお母さんで幸せだなと思う。

でも、3人欲しいってずっと思ってたからね、、、

 

 

 

 


それ以上は言葉が出なかった。

この期に及んでも、まだ3人目を諦めていない私は、 この話題がまだ好転することを心のどこかで期待していたから、 泣かないように、責めないようにして、 細い細い望みをなんとかつなげたかったからだ。

 

 

 

3人目を授かることはもう出来ないのだろうか。

ずっと悩んでいたし、不安だった。

 

 

 

だけど今度は迷ってきた。

3人目を授かって無事に出産することができたとして、 私は幸せなのだろうか?

夫は、私たち家族は幸せになれるのだろうか?

幸せに、、、なれるとは思えなかった。

でも、ずっと望んでいた3回目の妊娠を、 だからといって諦めることができない。

私は「やらずに後悔」をしたことがなかった。

今ここで、まだやれることはあるというのに、 どうやって諦めたらいいのだろう。

私は自分の望みに対して、 絶望的なほど諦めることに慣れていなかった。

 

 

 

少しやり方を変えることにした。

通っていた鍼灸院のメニューにある妊活鍼を初めて受けることにし た。

妊娠できるかは分からないけど、そして、 結局はもう3人目いいや、って思うかもしれないけど、 気持ちに折り合いがつかないんです。

担当してくれた鍼灸師さんにそう言った。

 


「分かりますよ」

 


そう言ってもらえて涙が出そうだった。

きっと。こんなふうに。諦めの悪い妊娠への思いを、 誰かに分かってもらえるだけで泣きそうなほどに救われる人がたく さんいるんだろうなってその時思った。

3人目を諦めるのかどうか。

その迷いに決着が着くのかもしれない。

少しだけ未来に光が射した。

心が軽くなった。

そして鍼ならば、夫の同意書がいらないのもよかった。

 

 

 


定期的に通い鍼やお灸をしてもらう。

私の首は、鍼がさせないほど硬くなっていて、背中も腰もガチガチですと言われた。自覚症状は全くなかったのに。

その時に夫の言葉を思い出した。

 

 

 

「今ですら仕事と家のことでいっぱいいっぱいなのに3人目とか無理じゃない?」

 

 

 

その時は全然いっぱいいっぱいじゃないし!と内心反論していたけど、私の体は実際にひどく疲れていたことが分かった。

夫に心配されるのも無理はなかったのだ。

 

 

 

妊娠への焦りもあると思うけど、まずはかなり疲れている自分の体を整えていきましょうね。と鍼灸師さんは言ってくれた。

妊娠への焦りはそんなに大きくはなかった。

私は初めて「自分」自身に向き合おうとしていた。

 

 

 

肩の力が抜けてきたのか、

夫との関係も少し快方に向かいつつあった。

目の前の夫が変わったのではなく、

私が私への扱い方を変えたからだと思う。

 

 

 

この数年、楽しい時もそうじゃない時も、

私はいつも自分のことを後回しにしていた。

夫のことが大好きだった。

2人の子供が愛しくて仕方なかった。

極力美味しいご飯を、極力片付いた家を、極力規則正しい生活を、と、いつも自分に課していた。

妻として、母として、こうあるべきとかそんな理想は絶対無理だよね〜なんて言ってるゆるいタイプの人間だと自分では思っていたけど、自分のできるレベルでの完璧はしっかり求めていて、結局できていない自分への評価は低かったのではないかと思う。

 

 

 

私は「お母さん」としての自分がいなくなることが怖かったのかもしれない。

娘が、息子が、だんだんと成長していくにつれ、そして夫が私に無関心に見えていたこともあって、自分の役割のようなものがなくなることが怖かったのかもしれない。

結婚前から夢見ていた、「3人の子供のお母さん」への純粋な憧れももちろんあるけれど。

 

 

 

鍼に通いだしてから、体調よりも気持ちが変わってきた。夫の言動をいちいち気にすることはなくなった。そうすると、夫の優しい一面が目に入るようになった。

数年前に今の部署に異動してから忙しくなり性格も変わってしまった、と思っていた。今もそう思ってはいるけれど、それでもきっと彼なりに、残っている気力と体力を振り絞って私や子供たちに向き合ってくれているんだなと思ったら、なんだか不憫で泣けてきた。

結婚した頃や、子供がもっと小さかった頃の、ひたすら優しさの塊だった夫を思い出すと、その全てがありがたくて泣けてくる。

今の夫を思っても泣けてしまう。

私はきっと自分で思っていたよりも、夫のことが大好きで仕方なかった。

 

 

 

私は3人目うんぬんよりも、夫と前みたいな関係に戻りたかっただけかもしれない。

目の前の夫がかつてのように変わるわけではないけれど、それでも私は前よりも満たされていた。

自分の心の叫びに気付いてあげられたから。

「自分を大切にする」というよく聞く言葉は、信じられないくらい大事なことだった。

誰かに愛されたいと思う時、まずは自分が自分を愛してあげること。どこかの本に書いてあったと思うけど、本当にこれに尽きるのだと思った。

 

 

 

 

妊活鍼には3度通った。

再来週4回目の予約を入れている。

2回目に行った時には妊活のことをあまり考えなくなっていた。

3回目に行った時には、子供は2人でもいいかなと、本当に思えるようになっていた。私はまた幸せだった。

 

 

2人でもいいかな、と思う。

まぁでも3人目がいても楽しいだろうけどね、とも思うけど。

絶対に、3人じゃないと嫌だ、とはもう思わない。

今の自分が、今の家族が本当に幸せだと思う。

幸せを噛み締められる私はなんて幸せなんだろう。

 

 

夢を叶えるためというよりも、

諦め方を探していたと言う方がしっくりくる、私の初めての妊活。

今ある幸せに気付くことの、なんと難しいことだろう。

未来はどうなるかは分からないけど、

今日も明日もその次も、4人分のご飯を準備できることが大変で幸せで仕方ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

いつか同じような悩みを抱えた方の、なにかの役に立てれば嬉しいです。

なにが正解とかではなく、心から納得のいく道が見つかりますように。

 

 

 

 

#「迷い」と「決断」